じゃがちゃんです。
今回は完全にただの日記になるので
もしかしたら時間の無駄になるかもしれません。
ただ、偶然に恩師と再会して
たった10分間ほどでしたが
20年以上ぶりに会話をした。
そこで個人的に
先生は間違ってへんで!
と感じた話。
恩師について
恩師の名前はTさん。
中学時代に野球部でお世話になった
ハイパー鬼監督です。
そして、野球部の監督では
当時珍しかった女性です。
女性とは思えない大きすぎる声。
グラウンドのネットを飛び越えていく
パワフル過ぎるバッティング。
目の前に立たれただけで伝わる
圧倒的な威圧感。
そしてその影響を受けた全身は
毛穴が永遠に広がり続け
冷や汗が溢れるほど。
あぁ、この人には到底太刀打ちできないな
と無理やり納得させられてしまう存在。
そんな恐ろしくも懐かしい思い出が
今でも鮮明に蘇ってきます。
例えばそれは放課後の練習風景
僕らは先にグラウンド整備をして
メニュー通りのハード練習を
一つ一つクリアしていきます。
すると突然キャプテンが
グラウンドに響く大声で
きをつけーーっ!!と叫ぶ。
野球部員以外の生徒も大勢いる中
グラウンドにビキビキと緊張が走る。
ビシッと背筋を伸ばした部員達は
硬直し脱帽します。
数にすると60名超えの部員達が
まるでグラウンドに植えられた果樹のように
一本一本が各々の表情を浮かべ突っ立つ。
もちろん向き合う相手は
キャプテンの声に合わせて
歩みを止めた鬼監督T。
歩みを止めたことを確認したキャプテンは
れーいっ!!と叫ぶ。
部員達は、ちわーす!!と叫び最敬礼をし
監督と再度向き合います。
ここで注意。
監督が手を挙げるまでは
決して動いてはいけません。
万が一動いた部員がいたら
連帯責任で動いた部員×5を
グラウンド全周走り。
動いて私語なんてすれば
連帯責任で部員全員が
監督の良しが出るまでグラウンド全周走り。
本当にキツかった。
放課後の14時から17時まで
休憩なしで走った時もありました。
足の感覚がなくなり
宙に浮いているような気分。
でもやっぱり体は重い。
時間が経つのがめちゃくちゃ遅く
間違いなく地獄でした。
例えばそれは夏休みの練習
午前中に練習試合、午後からは通常部活。
(練習試合は時に他校と、時に部活内、稀に休み)
このセットが当たり前でしたが
午前にフルパワーでプレイしたので
午後からの部活は地獄そのものでした。
午後からはトイレに行く(1回のみ)。
そして、水分補給ができるのは休憩の1回のみ。
なぜトイレが1回かの理由は
いっぱい汗をかけば尿は出ないという
監督らしい何の根拠もない
素晴らしい発想でした。
午後からの計2回(トイレのタイミングと休憩)
しか補給できない貴重な水分です。
もしタイミングを見誤り
早々にトイレに行ってしまえば
後々、口の中が完全にカラッポになります。
余談ですが、本当に水分を欲すると
人は汗ですら美味しく感じるんですね。
僕は鼻の下についた汗が一番好きでした。
例えばそれは冬の練習
寒い冬は体力作りのため
ボールはほぼ使わせてもらえず
走り込み、筋トレばかりでした。
冬は日が暮れるのが早いので
練習時間が少ない!夏より楽や!
なんてことは……ありえません。
走り込み、筋トレは
メニューの回数をしっかりクリアした者
から順番に解放されます。
また、楽をできないように
ゆっくりやっている者には
ペナルティで回数追加。
そして、早く終わった者は
ボール磨き、バット磨きが待っている。
まさに進むも地獄、止まるも地獄。
決して日が暮れて暗くなるまで
退屈させてくれないメニューでした。
そして週に1度程度ですが
監督の鬼ノックが丸1日あります。
(ノックとは監督が打ったボールをキャッチし、投げ返すを繰り返し行うもの)
鬼ノックではまるでマシンガンのように
次々とボールが飛んできます。
日が暮れ始めて暗くなり
いよいよボールを視認するのが難しくなると
ボールに白線用の消石灰をふりかけます。
すると、あら不思議。
ボールが地面で跳ねるほんの一瞬だけ
煙幕のように白く見えるんです。
ほんのり暗闇の中
その一瞬を見て動きを予測して
確実にボールをキャッチする。
まぁそんな奇跡は10球に2.3回ほど……
と、日頃の練習の成果でしょうか
意外と奇跡は起きていました。
ただ消石灰は目に入ると
めちゃくちゃ危険ということもあり、
最終的には蛍光塗料のようなもの
を塗って代用していました。
例えばそれはシゴキという名の○○
全てに共通して言えること
それはとにかく部員に厳しく
いつでも強く頑固で恐い女性。
学校がある日、毎日の朝練では
ボールの数を数えて
足らない分×10をグラウンド全周。
だらだら歩いたり、座り込んでいれば
どこからともなく監督がやってきて
怒号+説教とともに頭を叩かれたり
おしりをバットで叩かれる。
まぁ。めっっちゃくちゃ痛いです。
書き出すとキリがないほど
たくさんの素敵な思い出が蘇ってきますね。
入部当初に35人はいたであろう新入部員達は
夏休みが終わる頃には20人を切っていました。
辞めたい者は辞めてしまえばええ。
私は本気でお前らとぶつかっとるだけや。
内から真に強くたくましく成長して欲しい。
それが監督の口癖。
しかし学校側からの監督への当たりはキツく、
なぜ野球部だけこんなに退部するのか?
貴方の指導が間違ってるのではないか?
そんな声が職員室から漏れているのを
何度か聞いた事があります。
(正直、当時13歳だった僕は、このまま監督辞めてかへんかな?なんて思っていました)
鬼の目にも涙
今まで市内、県内で優勝多数。
東海大会でも2位か3位と(記憶が曖昧)
結構強い野球部でした。
優勝する気満々。
やる気もモチベも満タン。
コンディション最高で挑んだ
僕達にとって中学最後の大会。
結果は……
優勝には1歩届かず
……無念の敗退。
試合終了後、バッテリーを組んでいた
(ピッチャーとキャッチャーのコンビ)
キャプテンと副キャプテンの2人は
共に泣き崩れていました。
速やかに後片付けをして
グラウンドの外に集合した部員達。
1年生と2年生だけを先に帰らせ
残った3年の僕達に監督は重い口を開きます。
勝ち負け関係なく
試合後は1人ずつ叱られた後
改善点と次の目標を1人ずつ表明します。
その場にいた全ての部員が
絶対に叱られると思い身構えていました。
しかし……
監督から出た言葉は
今日の試合はお前らの負けや。
悔しいか?
(少しの沈黙、泣く者もいる中、はい……と皆が返事をした)
そうか。
でもな、私は誰よりも
お前らの努力を見てきた。
たったの3年間やったけど
私はそれ以上の濃い時間やったなと思う。
今日の試合は、
お前らが必死で努力してきた結晶やった。
(ぐすっぐすっと泣き声が大きくなる)
お前らの全部が詰まっとった。
キラキラしとった。
良い好敵手にも恵まれ
対戦相手も運良く強豪校ばかりやった。
どこの部活よりも早く朝練して
日が暮れても練習して
真夏日も雨の日も雪の日も
汗と涙と泥にまみれながら
一つのボールに食らいついていった。
決して何一つ無駄ではなかったんやで。
やから、今日の大舞台に立って
全力で戦えることを許されたんやで。
立派やった。
(まさかの褒め言葉に号泣)
それと、結果で負けることは
この先何回でもやってくる。
その度に悔しくなったり
悲しくなったりもする。
何もかも嫌になって
今まで掴んできた全てを
投げ出したくなる時もくるかもしらん。
そんな時は、必ず今日の日のことを。
一緒に汗を流した仲間の顔を。
思い出してほしい。
そして、
(この辺りから監督の目が赤くなり始めた)
今日からは監督としてではなく
1人の教師として
お前らを見送ってあげたい。
今日の改善点は全員なし!
来年、卒業後の目標を各自立てて
お家の方に表明してあげなさい。
きっと、喜んでくれる。
3年間、よくついてきてくれた。
ありがとう。
(最後は完全に涙でした。なぜなら、目の前の監督は僕らに最敬礼をしていたから)
卒業後も、母校の前を何度も通っては
野球部の練習風景を見ていた。
相変わらずの鬼監督ぶりを発揮し
部員達はヘロヘロになるまで
しごかれていました。
(頑張れ。と心の中で応援してみたり)
そして数年が経った頃
野球部の監督が変わっていました。
それに伴い
野球部の練習風景も変わっていました。
座り込む者、私語ばっかりで笑っている者
野球ボールでサッカーをする者など
目を疑いたくなるほど
ヘナチョコ野球部でした。
せっかく真面目に
野球をしようとする者もいるのに
へなちょこ部員の方が多いため
どうしてもそちらが目立つ。
肝心の監督は、見て見ぬふりの完全放置。
真面目に取り組む者が
自らノックをしたり
自主練をしていました。
苛立ちと
寂しさと
悔しさが混ざったような
何とも言えない気分になり
僕はそれ以降、二度と
野球部を見に行かなくなりました。
そして
卒業して20年以上経った
2023年の年末
偶然、監督と再会することに。
子供と出かけた近所の公園
その日は朝の9時頃から
はちみちゃん(娘)、そうちゃん(息子)と
(あ、ちなみに名前はあだ名です)
3人で公園に出かけました。
高い山がある公園で
お目当ては芝滑りです。
結局草が生え過ぎていてソリは滑らず……
とりあえず朝早くから来たこともあり
人が少ないうちに遊具で遊びまくることに。
お昼になりランチを食べていると
「午後からも全然遊ぶでなーパパ!」
と、元気いっぱいに報告してくれた子供達。
僕はほんの少しだけ
魂が口からハミ出てきましたが
ランチと一緒に流し込みました。
そういえば芝滑り出来てない。
さっきの公園は一通り遊んだしな。
「次はもうちょっと家に近い
○○公園に行くか?」
もちろん子供達の返事は
「うん!!!!」
○○公園に着くなり長女のはちみが
運転席まで乗り出して言います。
「パパー!芝滑りしとる子おるー!!」
これは……モーレツラッキービンゴ賞。
逆転サヨナラ満塁ホームランです。
子供達がダンボールで
華麗に滑ってるじゃないですか。
駐車場からのほほんと歩いていたその時
うっすらと視界に入った人影。
「……ん!?」
よく見ると見覚えのある
いや、忘れもしない顔です。
当時の面影を残したT監督が
こちらへ歩いてきました。
咄嗟に背筋を伸ばして
きをつけをしている自分に
懐かしさが込み上げてきます。
そして姿勢を崩さず
「お久しぶりです。
T先生ですよね!」
気がつけばすでに
声をかけていました。
「え!?え、え!?
どちら様でしょうか!?」
もはやそれは鬼ではなく
鳩が豆鉄砲をくらったような表情に
「○○中学の野球部で
お世話になりました。じゃがです!」
思い出してくれたようで
徐々に監督の表情が明るくなります。
しばらく世間話をしましたが
まるで別人のように
温厚で優しい女性でした。
監督の傍には
可愛いお孫さん。
どうやら娘さんに頼まれて
お孫さんの散歩をしている途中
たまたま公園に立ち寄ったそうです。
20年以上の時間が徐々に溶けるなか
当時と今のギャップに戸惑います。
「そういえば先生、
こんなこと言うのも失礼ですが
……温厚になりましたね」
すると
口を手で塞ぎクスクス笑う仕草。
うん。別人や。
どこにでもいる優しいおばあちゃんや。
「当時の監督はホンマ恐かったですもん。
沢山しごかれましたから。ははは」
「うん、そうやね」
一間を置いた監督から
意外すぎる言葉が飛び出す。
「でもね、当時のあの指導は……
やり過ぎてた。間違ってた。
部員のみんなにもね
辛い思いをさせたと思うの。
本当にごめんなさいね」
そう言うと頭を深く下げた。
ショックでした。
監督のその姿にではなく
今の教育方針に対して。
近年、過度な説教などについて
問題視され、度々ニュースでも目にします。
でも、監督の指導が間違っていたとは
どうしても思えない自分がいる。
世間で騒がれるような暴力教師や
自分の私情を学校へ持ち込み
ストレスの吐け口として手をあげる教師。
でも、T先生だけは絶対に違う。
きっと、そういった問題視されてきた
教育方針などが報道される度に
熱血硬派で真っ直ぐな鬼監督は
肩身の狭い思いをしてきたのだろう。
だから
僕はすぐに監督の言葉を否定した。
「そんなことはありません!
監督の指導は間違っていませんでした」
面と向かって否定するなど
当時では考えられない行動だが
20年以上歳をとった今の僕ならわかる。
あんなに恐ろしくて
新入部員の時は監督辞めへんかな?
とまで思った。
でも
「ホンマに厳しかったですし
叩かれ、怒鳴られ、泣かされました。
でも、監督に野球以上のことを叩き込まれたと
今の僕なら分かります!
あの汗と泥と涙にまみれた3年間は
今すぐに思い出せます。
20年以上経っても監督の顔を忘れてません」
それに
「感謝してる先生に
会いたくない生徒はいませんよ。
こうして僕から声をかけてることが
先生の指導は決して
間違っていなかったという証拠です。
どうか、否定しないでください」
監督は今日一番の笑顔を見せて
「ありがとう。
まさか偶然再会した部員の子から
こんなにも嬉しい言葉を
聞けるなんて夢にも思わんだわ。
こんなにも長い時間が経ってるのにね。
会えてよかった」
それから深々と頭を下げると
お孫さんの手を引き離れていった。
遠目で監督を眺めると
お孫さんがゴムボールを蹴り
監督の足にぶつけていた。
当時は部員にボールをぶつけてたのにな……
なんて考えると自然に笑みがこぼれた。
しかし
ぶつけられたボールをすぐ蹴り返す
その監督の強気な姿勢と顔つきは
当時のままで安心した。
監督の捨て台詞
公園を一通り遊んだ頃
「パパ、トイレ行きたい!」
と2人のおチビが言ってきた。
2人を両脇に挟み公衆トイレへ。
用を済ませ駐車場へ戻ると
お孫さんを車へ乗せてる監督の姿。
忙しそうだったので
声をかけず歩いていると
「じゃがくーん!
今日はありがとうね」
監督から声をかけてくれた。
「こちらこそ!
お話ができて嬉しかったです。
お身体大事にしてくださいね」
「ありがとう」
と言われ頭を下げたすぐに
「あ!じゃがくんに1つ質問があるの」
突然の質問に驚く
「はい、何でしょうか」
変に緊張する。
「ここの公園は小高い山が
沢山あるし、登れて楽しいけど……
一体何のためにあるんかな?
ちょっと気になってね。
近所に住んでるじゃがくんなら
わかるかなぁと思って」
中々難しい質問だ。
「いやぁ、わからないです!
すみません」
頭をぽりぽりとかく僕を見て
クスクスと笑う監督。
「公園の奥に古墳があるから
この山も古墳と何か関係あるんかな?」
「そうかもしれませんね!はは」
(古墳?知らんで)
「それじゃあ、またどこかでね。
さよなら」
そのまま車で帰って行った。
宿題を出された学生のような気分。
17時のサイレンも鳴り
僕も子供達と家路を急いだ。
「パパ、さっきの人は誰なん?」
「あの人はパパが野球しとった時の
先生やよ」
「ふーん、優しそうな人やったな!」
「ははは、そう見えた?」
そして僕は運転しながら思い出す。
あ!!
T先生、地理と歴史の先生やった!
「……はは、そら古墳気になるよな、先生」